■プロフィール

maharasa

Author:maharasa
趣味やら仕事をごった煮で書いてます!
旅行先や、日々の日常の中でであったデザインや、いろんな本を読んで書評なども書いてます。


相互リンクお待ちしております!
コメントに、気楽に書いていただけたら、気軽にリンクかけておきます!

■カテゴリ
■最新記事
■最新コメント
■月別アーカイブ
■リンク
■にほんブログ村

にほんブログ村

■人気ブログランキング

人気ブログランキングへ

■グリムス

ブログパーツを育てて、実際の森へ苗を植樹するサービス。

■ブログの殿堂

ブログランキング

■最新トラックバック
■あし@

あし@です!

■検索フォーム

■RSSリンクの表示
■ブロとも申請フォーム
■QRコード

QR

■これまで訪問した人の数

スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


スポンサー広告 | --:--:--
本当のリアルとは?~禁じられた死体の世界
仕事柄、自然や、リアルという物を時々考えます。
そんな事を追い求めていく中で、布施英利という一人の面白い学者の著作に出会いました。

禁じられた死体の世界―東京大学・解剖学教室でぼくが出会ったもの禁じられた死体の世界―東京大学・解剖学教室でぼくが出会ったもの
(1995/10)
布施 英利

商品詳細を見る

この個性的な本のタイトルから、生理的に受け付けない方も多数いると思いますが、少し我慢をし、本書を開くとその奥に隠れているものは、「死体」を通して見えてくる、我々が社会から隠されてしまった「リアル」という感覚の喪失が生む歪みへの警鐘というものが浮上してきます。

そもそも、普段の生活をしていると、死体を見るという事は滅多にありませんよね・・・
確かに、葬儀ではご遺体を見ますが、それは本書の言葉を借りれば、


『・・・見えているのは「思い」のほうであって、死体そのものではない。
あかの他人の死体を見たとしたら、それが「死体」そのものなんだ。・・・』~本書より


確かに、身近な方が亡くなった際に涙が流れるのは、その人との「思い出」を見返し、
悲しみに触れる事で産まれる感情であって、別にご遺体を見て泣くわけではありません。


それでは、死体とは?本書でも繊細に扱っているのが、この「死体」の定義について、


『人はさまざまな死に方をする。病気、事故、事件、自殺など、また悲惨な死や大往生などいろいろある。しかしどのような死に方をしても、最後は「死体」になる。
僕が言いたいのは、その死体が実在する、というリアルな感覚についてだ。バラバラ殺人事件の死体には、恨みや憎しみ、暴力などの感情がまとわりついている。それは生きた人間の世界の話であって「死体」とは無関係だ。』~本書より


この違いは極めて、鋭い指摘であるように思います。
これは、著者が死体を超えた「死」に真摯に向き合っている証拠のように気がしてなりません。
日ごろ「死」に対して考えている人なんて、ごく少数のように感じます。

しかし、我々は、本質では「死」という終わりに対して、きちんと考える重要性について本能的に
知っている、というか、感じているはずです。
だからこそ、「おくりびと」のような映画が注目されるんだと感じています。

しかし、現在は葬儀の様な儀式も形骸化し、形だけのものとなっている。
資本主義によるシステムの中に、人が人として存在する「死」という大切なことも、
組み込まれてしまっているというのが、実際の事で、人がシステムの一部に成り下がっているという非常に危険な状態なのかも知れません。

『埋葬する。
この「埋葬」という儀式が、人間が「人間」になったことの始まりの一つだと言われている。
今から数万年前に暮らしていたネアンデルタール人の遺骨のまわりに花粉がたくさん残っている。つまり死者を花で飾って葬った。人の死を理解し、悲しみ、それを葬る。これは脳が発達して、知性を持ち、死という概念を理解することのできる人間だからの行為だ。』~本書より。


次に「死」に対して考える際に、いつから死ぬのかという疑問は常について回る問題だと思います。
自分も祖父母がなくなった際に、死亡時刻というものは伝えられるときに非常に曖昧な印象を得ました。

「これで、お別れなのか?」と


このブログで、よく「切り取られた風景」や「空」を取り上げていますが、それらは全て人工物によって切り取られたものを紹介しています。つまり人の手や思想が、そして私の思想も入っています。
しかし、現実の世界つまりリアルな世界ではそう滅多には存在しないものです。

この生と死の境界も同様です。

これは、宗教的な観点とかではありません。

脳死問題にも関わると思われます。

本書でも、生でも死でもない「中間状態」が医学の進歩で長くなっていることを取り上げています。
また、死というものを画一的に扱うことも問題視しています。

『ともかく脳という一つの臓器のなかでも、死は部分的に進行する。一瞬にすべてが終わるのではなく、徐々に死んでいく。
そのように死は「プロセス」のなかにある。死の瞬間などというものはない。だから死亡時刻というのも、人間が勝手に決めた基準であって、自然の世界には生と死の明確な境界などない。
死体と生きている人間の違いは、よくわからないのだ。』~本書より。

人間の脳が発達したことで、「死」という現象すらも、システムの中に追いやるという傲慢さを感じます。「死体」を「死」を非常に抽象的な次元に押しやったことで、リアルさを失っているんです。

あえて存在しない境界線を作るという傲慢さ。


『海辺というのは不思議な場所だ。波が打ち寄せると、そこは海の底になる。そして波が引くと、陸になる。同じ場所なのに、海になったり、陸になったりする。そこには明確な境界線というものはない。海岸線は地図では「線」として示される。しかしそんな線など、本当はないのだ。
「近代」というのは、そのような境界領域に、敢えて「境界線」を引くのをよしとした文明だ。西洋近代に染まったぼくたちは、そのような「線」があると信じている。しかし海辺にも、ヒトの生死にも、明確な境界などがない。』~本書より



以上、本書は死体というリアルなものを通して見える人の死を考えさせてくれる本当にすばらしい作品です!
一度手にとって、一読していただきたいたいです!



文明の限界が来ているのかも知れません。
本来3.11で我々は考えなくてはならないことも、
資本主義のシステムの大きさには敵わず、結局同じ日々を過ごしてしまっています。
自分は、文明が生んだ文化の衰退という状態と、
それにより我々人間が資本主義のシステムという一つの部分になってしまっているという状態になっていると感じています。

正直ブログを書いている自分も、「システムの一部になった人間」であるような気がして、
最近非常にさびしく感じることが多々あります。。。。







ブログランキングに参加しました。
もし、良かったらクリックして応援してください。
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村




人気ブログランキングへ


スポンサーサイト
本を読んで書評を書いてみる | 22:51:30 | トラックバック(0) | コメント(25)
コミュニケーションが、知能を発達させ「人間性」の獲得へとつながる!~進化しすぎた日本人
「進化しすぎた日本人」、この特徴的な本のタイトルを目にして、いったい何を考えますか?

進化しすぎた日本人 (中公新書ラクレ)進化しすぎた日本人 (中公新書ラクレ)
(2005/09)
杉山 幸丸

商品詳細を見る


本の裏表紙を見ると、さらに、注目するキーワードに出会います。
『・・・現代人の奇異な振る舞いの数々も、生物学の観点から見れば必然だった。
サル学の第一人者が説く「人間らしさ」回復術』~裏表紙より

本書は生物学の先生が、長年の研究の中から得た知識と、経験より
生物一般の事例を取り上げ、人との共通点そして、
人の誤った進化についての警鐘を鳴らすという本です。

取り上げる項目は違えども、本書が通して伝えたい事は、
本当の意味でのコミュニケーションの重要性について、にあるような印象を得ます!


隔離飼育症候群というきわめて特徴的な章に、仕事上のコミュニケーションの問題点について言及してあり、日ごろの会話を反省させられます。。。

『・・・最近、社会全体がぎすぎすしているのは、もしかしたら現代日本人の大多数、なかでも都会生活者が、知らず知らずのうちに自らを準隔離飼育生活に追い込んで、人と人とのコミュニケーション不足に陥っているためではないだろうか。もっとも、毎日お客さんと接している営業マンだって、いつもワンパターンの定型句を並べているだけであって、ほんとうのコミュニケーションなどろくにしていないのかもしれない。』~本書より


仕事をしていても、友達や、家族と話をしていても、
日常生活で他人と接触する機会は多々ありますよね!
ならば、コミュニケーションとは何ぞや?

『・・・「相手との理解を深める発信と受信、情報の伝達」である。傍からは和やかに話し合っているように見えても、相手への理解がお互い深まっていなければ、それはコミュニケーションとは言えないのではないかと思うからだ。』~本書より

そして、ニホンザルの意思疎通を例に取り上げ、コミュニケーションの根幹へと迫ります!
『たんに言葉をやり取りするだけではなく、相手の顔を見、反応を確かめながらのやり取りによって「理解し合う」ことこそ、コミュニケーションのための行動の大部分を占めている・・・』~本書より


相手の気持ちを読み、柔軟なコミュニケーション・・・本当に、難しいです。
自分の思い通りにならないことは、日常の中で多々あります。そんなときに、相手の立場を考慮して行動し、
妥協をしたり、譲ったりと、「高度な!コミュニケーション」が出来る人って、本当に少ないような気がしますし、自分自身に対しても言っているようで、、、耳が痛いです。



そして、今回のブログのタイトルにも挙げた知能とコミュニケーションについて!
『・・・霊長類の脳を特段に発達させてきたのは「器用な手による物体の操作能力の発達」よりも、
集団生活に基づく個体間の交渉、すなわち「コミュニケーション能力の発達」である。そこには、
自他はもちろん他と他も区別し、その関係を記憶し理解する能力や、相手がどう考えているかを推し量り、
その心を読む「心の理論」、さらに過去の経験を記憶しておいて必要なときにいつでも取り出し、
判断に利用できる能力、そんな能力が伴っている。』

先ほど、「高度な!」とコミュニケーションの前につけたのは、このような、知能の発達を促し、
さらに必要とされる行為だからなんです!


以上「進化しすぎた日本人」について書かせてもらいました!
本書は、そのほかに、自立や、リーダーの話などさまざまな事を
著者の研究と絡めて書かれています。

特に、餌付けされたニホンザルに余裕が生まれたことにより、
精神的満足感を得る芸術に対する意識の芽生えが産まれた事例を
紹介するなど、心の余裕と芸術そして学問の関係も説いてあります!


現代人が失ってしまったかもしれない、『人間性』の獲得の機会を得られる面白い本です!








ブログランキングに参加しました。
もし、良かったらクリックして応援してください。
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村




人気ブログランキングへ


書評~ビジネス書等について | 18:51:32 | トラックバック(0) | コメント(12)
忘れてしまったライフスタイル~坐のはなし
役に立つ面白い本を読んだので紹介させてください、日本文化に触れる行為と脳に働く良い事尽くめの「正坐」についての本の紹介です!

以前街デザシリーズで、水田の上に作られた四畳半という床のみの小さな茶室の作品
を紹介しましたが、写真の中で坐る友人の姿を見ていてふと気になる事が頭をよぎりました。
そもそも、坐るってどういう意味を成すのか?何気なく、家の中や外で坐ったりしているけれど、
この作品の中で、正坐している友人を見たときに感じた何気ない緊張感はいったいなんだったのだろう?

気になったらまず調べる!ということで、面白い本を手にとってみました。それが、こちら

坐のはなし―坐りからみた日本の生活文化坐のはなし―坐りからみた日本の生活文化
(2005/06)
森 義明

商品詳細を見る


最近、正坐していますか?
実は、自分久しく正坐していません・・・厳格な祖父が生きているときは、
家の中でも、正坐していました。食事のときも正坐です。

剣道と習字の先生もやっていた祖父は、自分の背中に竹刀を入れて背筋を伸ばすことを教え、
躾と姿勢の関係性を厳しく諭されました。今思うと貴重な体験をできたなと感謝しています♪
いまでは、その躾もどこに消えてしまったのか、駄目な人間になってしまいました。。。


そもそも、坐るとは?人間は二本の足で立つようになったことで、両手が自由になり道具を産み、道具を使い、脳が発達して社会が生まれたと自分は学校で学んできましたが、本書の面白いところは次の一文にあります!

『人間は「二本の足で歩くことが特徴である」と言われているが、それだけではないようである。「立つ」ことよりも「坐る」ことによって、足を休め、手をより自由に上手に使えるようになったことも今日の文化を生み出した要因ではなかろうか。』~本書より


この指摘と着眼点は非常に面白いです!この一文に出会っただけでも、思考のパラダイムシフトは始まり本書を読む価値を生んでいました。確かに歩きながら思考は行いますが、坐って本を読んだり、パソコンを操作したりと、立っている時間よりも坐って活動する時間の方がウエイトは大きいと思います。
そして、本書は『現在の日本人の「坐る」ことの意義について考える事に主眼が置かれています。

今回のブログについて気になったかも知れませんが「座」が「坐」になっていると気がついた方がいると思います。本書を読むまでは混同していましたが、「座」は名詞であり「坐」はすわるという動詞であり、使い分ける必要があるみたいです。常用漢字では動詞・名詞は「座」で統一されているので、間違いではありませんが、今回は使い分けてみようと思います。


「坐」の文化。
いうなれば日本の文化そのものといっても過言ではなく、日本の伝統文化の精神性そのものをあらわしています。
欧米も坐るのではないか?なぜ、それが日本独自といえるのか?
『欧米人には、「腰掛ける」はあるが「坐る」習慣がないので、「坐る」を単なる「休息」としてしか見ず、「休息」といえば「坐る」ことを指しているが、日本人は「休息」のために「坐る」こともあるが、それだけではなく、「坐る」ことで思索する・仕事をするなどの目的を持っており、これが日本独自の文化であることがわかる。』~本書より。

教養の無い自分には、坐、とくに「正坐」というものがどのように日本文化につながるか?そもそもこの本は暴論ではないか?と疑心暗鬼でしたが、本書を読み進めるうちに自分が失ってしまった日本人としての精神世界の重要性を再確認させられます。


『道(どう)とは、人間の守るべき条理であり、条理とは、作法、礼法である。道には正しく姿勢を作りつつ自然な動きを覚え、それに心をこめることが必要である。そのために「正坐」をすることがそれぞれ稽古の基本となる。・・・(略)・・・「正坐」は、道に入る際の精神の導入(introduction)になるものであろう。定着したのは・・・(略)・・・足を折りたたんで置く「正坐」であった。坐の所作を重視する芸道が異口同音に『無心』の心得を説いていることに理由がある。目的のために足が不要と考えたからである。「正坐」は、道に対して足を腰の下に置く、足を片づけておく肢位が、無の思想であり、待機の美学、待機のモラルに適ったものであったのである。・・・(略)・・・日本の世界に誇るべき茶道、華道、書道、剣道、柔道、芸道などの伝統文化は、皆どれもが礼儀に重きを置き、下に「道(どう)」という字がつき、技より心を培い、精神鍛錬の場として伝えられてきた大切な日本文化である。』~本書より


正坐とは、まさしく日本の伝統文化の基本。正坐を忘れてしまった自分は日本人の精神文化を捨ててしまったのかもしれません。無心を失い、純粋に物事に向き合えないから、見えてこないことが沢山あるのかも知れない、、、
もしかしたら、何も見えていないのかもと反省してしまいます。


本書の面白いところは、著者が医師であるため正坐にまつわる、O脚になるとか、猫背になるなどのさまざまなデマや認識を一掃してくれるだけでなく、

次が重要です!

「正坐」の効用を教えてくれる所にもあります。


『「正坐」をするkじょとにより下肢から刺激が大脳の旧皮質に働きかけ、さらに推理、記憶を司る新皮質の働きを活発にすることが分かっている。そのために「正坐」の姿勢は、最も頭の働きがよくなり、創造性を高めるといわれている。』~本書より


最近、頭の働きが鈍り、発想力がもともと乏しい自分には、これほどうれしい脳の活性化方法はありません!


「正坐」をすることで、日本の精神世界に触れるだけでなく、脳にも良い!そんなすばらしいづくめの
坐るという文化を教えてくれる良著です!

オススメですのでぜひとも手にとってみてください!


実は、今椅子の上に正坐しながら、パソコンのキーボードをたたいています♪
なんだか、背筋が伸び目が見開いているような気がします♪
たしかに、頭がクリアになってきたような気が・・・










ブログランキングに参加しました。
もし、良かったらクリックして応援してください。
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村




人気ブログランキングへ

本を読んで書評を書いてみる | 18:32:03 | トラックバック(0) | コメント(16)
かつて日本にあったであろう風景~神去なあなあ日常
街で見つけたデザイン~その94~分けるへの、ラン・レモンさんのコメントにて紹介された本が、
なぜか、解りませんがタイトルに興味が非常に沸き、今すぐ読んでみたいとの衝動から、
前回の本とともに図書館で借りてきました。

神去なあなあ日常神去なあなあ日常
(2009/05/15)
三浦 しをん

商品詳細を見る


「アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない」を読み、
気持ちが落ち込み、焦りとともに不安感が自分を取り囲んでいたときに、

この本は、日本の山村がもつ、もしかしたらもう失われてしまったかもしれない
原風景のイメージを喚起し、やさしさと、温かさを運んでくれます。

物語は、神去村(かむさりむら)という架空の山村を舞台に進みます。
高校を卒業とともに、無理やり横浜の都市部から
林業に就職された少年の一年の物語をつづったものです。

当初少年は、住んでいた横浜の地へ脱走(笑)しようと企てますが、
徐々に神去村の自然と林業への達成感と、信頼感の獲得から生まれる心地よい充実感より
一歩一歩と、神去村と、林業にたいして愛着が生まれていく少年の心の変化と
林業という仕事が日本の山をいかに守り支えているのか?という
普通に暮らしていたらなかなか見えてこない、本当は知るべき日本の側面を、
読みやすい文章と、笑いを含めて描かれています♪


かつて日本が持っていた自然崇拝ともいえる、山に対する畏怖の気持ちと
祭りの神格さが、物語の中で神秘的な雰囲気を加えていて、
主人公の心情の変化とともに、神様との付き合い方の距離感の変化が
大変興味深く読めるとともに、、、

主人公のように素直に見れないであろう、、、
自分自身のひねくれ度合いに、泣きたくなってきます。
いつの頃からだろうか・・・純粋さを失ってしまった自分・・・



この物語りのイメージは、もののけ姫のような強さではなく、
夏目友人帳のような、やさしさのイメージ♪が正に当てはまっていました。










ブログランキングに参加しました。
もし、良かったらクリックして応援してください。
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村




人気ブログランキングへ


書評~小説・物語 | 02:12:27 | トラックバック(0) | コメント(10)
これが本当のアメリカなのだろうか?~アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない 
数年前に騒がれた本を、たまたま図書館で発見してしまい
読んでみても損はないだろうと思い、手にとってみました。

以前、水ビジネスの問題を取り上げたドキュメント映画をブログで紹介しましたが、
you tubeの関連動画として、アメリカの宗教問題などが横にあがっていました。

今回、手に取った本にはその宗教問題などアメリカが抱える様々な問題が、本の中には紹介されています。

アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない (Bunshun Paperbacks)アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない (Bunshun Paperbacks)
(2008/10/09)
町山 智浩

商品詳細を見る

正直言って、この本に書かれている内容がどれほど真実なのか?解りませんが、これが真実のアメリカなのかと、驚きを止められません・・・この本自体が手の込んだジョークでフィクションなのか?と思ってしまいます。

序章の一文に、リック・シュンクマン著「我々はどこまでバカか?」の一文を紹介していますが、、、
「・・・自分たちの国が日本に原爆を投下した事実を知っているアメリカ人は49%にすぎないそうです。・・・」~本文より
よくテレビで街角の人を捕まえて、質問をしている番組を見ますが、どこの国も同じような問題を抱えているにしても、これは酷過ぎる、正直!めまいを覚えるくらいなショックを得ます。

読んだ感想としては、教会問題からうまれる偏った教育の弊害が
大きく社会を誤った方向へ導き、政教分離が上手く機能しない宗教問題には
腐敗した政治が裏で動いているという
最悪の負のスパイラルがうまれ、そこから抜け出せないアメリカの現状が書かれています。

きちんとした教育がなされず、腐敗した政治と指導者により格差が広がり、
貧困が文化の退廃を産み、安易に将来を捨てるアメリカの若者、そして国民。


政治に興味を持てなかった国民が、選挙権という権利を行使しなかったため、
アメリカという大国の行く末が、最悪の方向に進んでいる事が紹介されていますが、これが本当にアメリカなのか?

かねてからアメリカの医療保険の問題点は取り上げられて、
マイケル・ムーアの「シッコ」でも映画化されていましたが、
国民の福祉を民営化し営利な活動に向けた結末とその成り行きもこの本に載っており、
日本も明日はわが身ににならないように、政治家の先生方に対してわれわれの政治に対する
注目度は今後も目を光らせねばなりません!


本書を読んでいて、つくづく解るのは、教育の重要性です。
国民の教育と素養が政治を正しい道に導く、結局我々国民が眼を光らせないと、
マスコミを含め安易に堕落するというケースが本書で紹介されています。
報道が、ゴシップ記事のようなレベルにまで下がってしまい。
誤報によって、政治が曲げられてしまう。
これは、現在の日本でもあるのかも知れませんが、、、
我々国民が教育と素養によって、情報を見抜く目を持つことで、これを避けられるように思います。



本書は、終章がもっとも内容が濃いように思います。
そして、終章だけ読んでもいいくらいの価値が有ります。

特に、先ほど上げた、保険もそうですが、公共サービスについて恐ろしい指摘が上げられています。
「アメリカは、新自由主義に基づいて、電力や、ガス、水道などの公共サービスを片っ端から民営化していった。民営化したってことは買うこともできるってこと。・・・東京電力が中国に買われてしまう事態を想像して欲しい。市民の生活に不可欠な光熱費が外国に流れてしまう。しかもガスや電気のインフラ整備には政府から莫大な金が支給される。もちろん税金なわけだ。」~本書より。


3.11以降福島の原発事故を受けて、安易に送配電分離が騒がれていましたが、
最近は静かになりました。あの議論はどこにいったのだか?

テレビの薄い議論と、偏った情報と視聴率という商業主義に左右される番組内容、その結果から生まれる無知と無関心。

もし、日本の公共サービスに外国が入ってきたら?
それによって、電力入手が難しくなるとしたら?

東電による過剰な料金は確かに問題ですが、やはりインフラは国が守るべきだと思います。


長くなりましたが、非常に面白い本です!さすが話題作になった理由もわかります。
これは、アメリカの問題が書かれていますが、
あすは、わが身。日本も他人事とは思えません。
本当の意味での政治への関心が必要ですね!
結局、政治の無関心のツケは我々国民が払わなくてはならなくなるんですもの。。。泣きたくなってきます。

最後まで、読んでいただき有難うございます。





ブログランキングに参加しました。
もし、良かったらクリックして応援してください。
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村




人気ブログランキングへ

書評~ビジネス書等について | 02:02:29 | トラックバック(0) | コメント(12)
次のページ

FC2Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。