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本当のリアルとは?~禁じられた死体の世界
仕事柄、自然や、リアルという物を時々考えます。
そんな事を追い求めていく中で、布施英利という一人の面白い学者の著作に出会いました。

禁じられた死体の世界―東京大学・解剖学教室でぼくが出会ったもの禁じられた死体の世界―東京大学・解剖学教室でぼくが出会ったもの
(1995/10)
布施 英利

商品詳細を見る

この個性的な本のタイトルから、生理的に受け付けない方も多数いると思いますが、少し我慢をし、本書を開くとその奥に隠れているものは、「死体」を通して見えてくる、我々が社会から隠されてしまった「リアル」という感覚の喪失が生む歪みへの警鐘というものが浮上してきます。

そもそも、普段の生活をしていると、死体を見るという事は滅多にありませんよね・・・
確かに、葬儀ではご遺体を見ますが、それは本書の言葉を借りれば、


『・・・見えているのは「思い」のほうであって、死体そのものではない。
あかの他人の死体を見たとしたら、それが「死体」そのものなんだ。・・・』~本書より


確かに、身近な方が亡くなった際に涙が流れるのは、その人との「思い出」を見返し、
悲しみに触れる事で産まれる感情であって、別にご遺体を見て泣くわけではありません。


それでは、死体とは?本書でも繊細に扱っているのが、この「死体」の定義について、


『人はさまざまな死に方をする。病気、事故、事件、自殺など、また悲惨な死や大往生などいろいろある。しかしどのような死に方をしても、最後は「死体」になる。
僕が言いたいのは、その死体が実在する、というリアルな感覚についてだ。バラバラ殺人事件の死体には、恨みや憎しみ、暴力などの感情がまとわりついている。それは生きた人間の世界の話であって「死体」とは無関係だ。』~本書より


この違いは極めて、鋭い指摘であるように思います。
これは、著者が死体を超えた「死」に真摯に向き合っている証拠のように気がしてなりません。
日ごろ「死」に対して考えている人なんて、ごく少数のように感じます。

しかし、我々は、本質では「死」という終わりに対して、きちんと考える重要性について本能的に
知っている、というか、感じているはずです。
だからこそ、「おくりびと」のような映画が注目されるんだと感じています。

しかし、現在は葬儀の様な儀式も形骸化し、形だけのものとなっている。
資本主義によるシステムの中に、人が人として存在する「死」という大切なことも、
組み込まれてしまっているというのが、実際の事で、人がシステムの一部に成り下がっているという非常に危険な状態なのかも知れません。

『埋葬する。
この「埋葬」という儀式が、人間が「人間」になったことの始まりの一つだと言われている。
今から数万年前に暮らしていたネアンデルタール人の遺骨のまわりに花粉がたくさん残っている。つまり死者を花で飾って葬った。人の死を理解し、悲しみ、それを葬る。これは脳が発達して、知性を持ち、死という概念を理解することのできる人間だからの行為だ。』~本書より。


次に「死」に対して考える際に、いつから死ぬのかという疑問は常について回る問題だと思います。
自分も祖父母がなくなった際に、死亡時刻というものは伝えられるときに非常に曖昧な印象を得ました。

「これで、お別れなのか?」と


このブログで、よく「切り取られた風景」や「空」を取り上げていますが、それらは全て人工物によって切り取られたものを紹介しています。つまり人の手や思想が、そして私の思想も入っています。
しかし、現実の世界つまりリアルな世界ではそう滅多には存在しないものです。

この生と死の境界も同様です。

これは、宗教的な観点とかではありません。

脳死問題にも関わると思われます。

本書でも、生でも死でもない「中間状態」が医学の進歩で長くなっていることを取り上げています。
また、死というものを画一的に扱うことも問題視しています。

『ともかく脳という一つの臓器のなかでも、死は部分的に進行する。一瞬にすべてが終わるのではなく、徐々に死んでいく。
そのように死は「プロセス」のなかにある。死の瞬間などというものはない。だから死亡時刻というのも、人間が勝手に決めた基準であって、自然の世界には生と死の明確な境界などない。
死体と生きている人間の違いは、よくわからないのだ。』~本書より。

人間の脳が発達したことで、「死」という現象すらも、システムの中に追いやるという傲慢さを感じます。「死体」を「死」を非常に抽象的な次元に押しやったことで、リアルさを失っているんです。

あえて存在しない境界線を作るという傲慢さ。


『海辺というのは不思議な場所だ。波が打ち寄せると、そこは海の底になる。そして波が引くと、陸になる。同じ場所なのに、海になったり、陸になったりする。そこには明確な境界線というものはない。海岸線は地図では「線」として示される。しかしそんな線など、本当はないのだ。
「近代」というのは、そのような境界領域に、敢えて「境界線」を引くのをよしとした文明だ。西洋近代に染まったぼくたちは、そのような「線」があると信じている。しかし海辺にも、ヒトの生死にも、明確な境界などがない。』~本書より



以上、本書は死体というリアルなものを通して見える人の死を考えさせてくれる本当にすばらしい作品です!
一度手にとって、一読していただきたいたいです!



文明の限界が来ているのかも知れません。
本来3.11で我々は考えなくてはならないことも、
資本主義のシステムの大きさには敵わず、結局同じ日々を過ごしてしまっています。
自分は、文明が生んだ文化の衰退という状態と、
それにより我々人間が資本主義のシステムという一つの部分になってしまっているという状態になっていると感じています。

正直ブログを書いている自分も、「システムの一部になった人間」であるような気がして、
最近非常にさびしく感じることが多々あります。。。。







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本を読んで書評を書いてみる | 22:51:30 | トラックバック(0) | コメント(25)
コメント
おひさしぶりです、maharasaさん。
とっても興味深く読ませていただきました。
いつもどこか、形あるものの儚さが浮き立って見えてしまう私には、「死」というものも、ふだんから近く感じたり考えたりしているほうだと思います。
ただ、このような「死」への視点は、はじめてでした。
「死」が瞬間的なものでない。と聞いたとき、正直びっくりしました。
電気がぱちり、と消えるような、そんな感じをイメージしていたから。。
それってもうすっかり、1か0かの近代科学や社会のシステムに取り込まれていたのですね。。
少し、震えるような怖さを覚えました。

人間は「自然」のひとつなのに、もうすっかりそのことを忘れて、いろんなものに境界線を引き、うまく分類できないものを疎ましく思い、
いつのまにか自分の感情や思考までも、そんなふうに扱うようになってしまってたんだ。。って、
そうあらためて深く、気付かされました。i-265

*まりこうた*
2011-12-20 火 00:55:53 | URL | まりこうた [編集]
おお!面白そうですね!

死体から死生観を考えるのは意外と斬新に思えます。
大体の人が「死ぬ」という瞬間またはその後を中心に考えますからねー。

今度読んでみようと思います!
2011-12-20 火 01:36:38 | URL | 一・一 [編集]
私も大変興味深く、読んでみようと思います。
以前、死についてとても恐怖感がありました。
最愛の父を去年なくしてからは、死とは??肉体がこの世からいなくなることって??と考える事が多々ありました。
今一つ言える事は、死は生命の終わりではないかということ・・・かな・・・
2011-12-20 火 22:58:17 | URL | 自然いっぱい野乃花 [編集]
maharasaさんこんばんは♪

実に興味深い(ガリレオ風)本ですね。
「おくりびと」や「アントキノイノチ」でも
死と向き合い生前どんな人生を歩んできたか
残された家族の思い…命と向き合う事の大切さを
改めて感じされらる映画が話題となりました。

視点を変え参考にさせていただたいと思います。
2011-12-20 火 22:59:14 | URL | 奏響 [編集]
こんにちは^^

この年末、読んでみようと思います
そういえば・・・今年、maharasaさん経由で出会った本
いくつかありましたが、とても有意義な読書でした~^^

2011-12-21 水 14:22:02 | URL | *am*blue [編集]
maharasaさんの今回の記事、非常に難しい問題を取り上げましたね。
敢えて人間の死を見つめると、血縁の者には悲しみが、
他人には単なる1人の死、いわゆる生命を閉じた物体にしかみえないでしょうね。

葬儀屋さんに勤めている友人がおります。連日他人の死体を扱い、ご遺族に故人との別れを演出しています。
彼らは死体を物体として扱い、感情の移入は極力避けるようにしているようです。

先日、東日本大震災を取り扱った「遺体」というルポを読みました。
そこには死という数多くの遺体が放置状態だったようです。
安置所に安置された数多くの遺体を探し、泣き叫ぶご遺族の姿も書かれてあります。
肉親に対する人間の感情と物体として扱われる死体。複雑ですね。
2011-12-21 水 17:11:36 | URL | matsuyama [編集]
こんばんは

本当に難しい問題です。

医師からの死亡したという言葉が
受け入れられるまでどのくらいかかったんだろう。

父のまだ温かい手を、体を触りながら、そばにいる気配や
父の温かさをいつまでも、体感しました。

亡くなった?(医師から死亡を伝えられた)後に、
娘のところへ会いに、行った父。
人それぞれの、死のとらえかたがありますよね。

システムの一部でも、同じではない。
そのひとが、そこにいることの大きな意味が
あると思います。
2011-12-21 水 19:58:11 | URL | ラン・レモン [編集]
おはようございます(^^
いつもながら、maharasaさんは難しいところに切り込んできますね!
とても興味深く、考えさせられる内容でした。

私も歳相応に幾人かの死を見てきましたが、やはり”人間の死”は
その他の動物たちとはちょっと違うな・・・という気がします。
人間が作ったシステムにとっては、”人間と死体を区別する”ために・・・
そして、遺族にとっては”大事な人を思い出に変える”ために・・・やはり”死”という
線引きは必要で、そのためのセレモニーとしての”葬儀や埋葬”だと思います。

ただ、亡くなった当人については少し違って、どの時点をもって”死”とするか、
とても難しいな・・・と。  
ある時ふと我が子に亡き祖父の面影を見たり、自分が亡き祖母と同じ癖を
持っていたりすることがありますよね・・・親の思想を受け継いだりとか・・・
それって、本人は亡くなっていて認識なんかできないけれど、その人の
”遺伝子や模倣子”は健在だということで・・・ 
そう考えると、たとえシステムの一部だとしても、その人がその人であることには
確かに意味があって、maharasaさんのブログに人が集まって、読んで、考えることにも
それぞれに意味があることだと思うのです。
2011-12-22 木 09:24:35 | URL | tomakiti [編集]
こんにちは★
ご無沙汰しちゃって、すいません!

今回の記事、難しくも興味深い内容でした。
生と死は当然のごとく表裏一体のはずなのに、死をあまりにも遠ざけてしまった為に死がリアルでない…結果生すらあやふやになっているようにも思いました。
かくいう私も日ごろから死を意識している訳でもなく。
だからこそこういう記事を読み、なんなりかんなり思考することが重要な意味をもってくるのだろうと思います!
こちらの本も、是非一度読んでみますね★
気付きを刺激を、いつも有難うございます!
2011-12-22 木 14:27:57 | URL | ちひる [編集]
システムは完璧ではありませんが、ある程度”完成された”構造体であることは事実ですよね。

資本主義の、社会のシステムの一部分として過ごしていくのは口惜しいですが、そのシステムに従わなければ生きることが難しい社会でもありますゆえ。。。

死体から死生観を、見ているのは思い。確かにその通りです。例えば僕は科学にある意味毒されており、死体もなにも、究極は原子の集合体という認識ではいます。もっとも、そこまで割り切れはしませんけど。

自分の知っている人の「死体」を見たらやりきれなくなる。赤の他人の「死体」をみても特に何も胸に去来はしない。確かに納得できます。

2011-12-25 日 21:45:23 | URL | 火酒 [編集]
Merry Christmas
maharasaさん、こんばんは^^

死体学とでも申しましょうか。生死を考える哲学とは違い、死体そのもの
から見えて来ることは、人間そのものなんでしょうね。

独特の視点と表現。楽しませて頂きましてありがとうございました。
歯車であっても、意志と行動で世界は変わると思います。僕なんか
おまけがついて、馬鹿ですから。来年も楽しく拝読しますね。

ご健康とご多幸をお祈りいたします。
よいお年をお迎えください。
2011-12-25 日 22:24:30 | URL | はなさかすーさん [編集]
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2011-12-28 水 13:06:18 | | [編集]
お久しぶりです、それでも生きていかないといけないと言う現実
文明と言うよりもそれを運用するシステムに限界が来ていると思う
よくスポーツを八百長とか言うけど、たまには弱いところを勝たせてあげないと盛り上がらないし、相撲なんて勝ち星を分けていることで弱小部屋でも食える
一番ダメなのは利益を還元しないところなんだよな
ただ儲かってこれで万々歳じゃねえだろと思う
最近の日本人はこんな奴等が増えた気がする
2011-12-28 水 22:41:27 | URL | xx [編集]
Re: タイトルなし
『まりこうたさん』
お久しぶりです。
本当に、コメント返信が遅れてしまいすみません!

遅れたので、いつもより倍丁寧にコメントを返したいと思います。
真剣に考えたいので!

形あるものに儚さを感じるというのは、鴨長明の方丈記のような感覚ですね。
自分もまりこうたさんのコメントに大変共感できます。
さらに、この「死」というテーマに向き合ったときに、方丈記の様な感覚を覚える、
その鋭い感性に驚かされます。

きっと、まりこうたさんは、もっとも人間らしい人間なんだと思います。
それは、作品を作る際に、人の心や、感情と向き合っているため、
人という存在を受け入れ、そこから、真実つまり、今回の記事の中にも出てきた、
「リアル」というものを求めているのだと感じてます。
「リアル感」が無いものには、表面的に感じることが出来ても、
心に残る事が出来ないから、このまりこうたさんの姿勢は作品を創る者たちにとって、
大変重要なことなんだと気づきました。

この本の「死」への視点は、大変鋭く、人間の社会から見たものではなく、
自然と向き合い、その中に存在する人を見たことより生まれたものだと思います。
だから、この著者の観点は、我々が忘れてしまった大切な事を伝えてくれるんですね!

『「死」が瞬間的なものでない。と聞いたとき、正直びっくりしました。 』
自分も、本当に、驚きました!


『電気がぱちり、と消えるような、そんな感じをイメージしていたから。。
それってもうすっかり、1か0かの近代科学や社会のシステムに取り込まれていたのですね。。
少し、震えるような怖さを覚えました。 』
そのことです!
それを、今回の記事で一番感じてほしい事です!
生命って、1か0で割り切れない。
合理的に、単純化すれば、物事は理解がしやすいのですが、
我々が生きている本来の世界はアナログなものでデジタルな近似値で形成されたものではなく、
多様性と複雑性が同時に存在する、大変面白い世界です♪
文明の発展は、その大切な事を忘れ、単純明快な解りやすいものに頼ってしまう方向になっています・・・

まりこうたさんが、書いた、
「人間は「自然」のひとつなのに、もうすっかりそのことを忘れて、いろんなものに境界線を引き、うまく分類できないものを疎ましく思い、
いつのまにか自分の感情や思考までも、そんなふうに扱うようになってしまってたんだ。。って、
そうあらためて深く、気付かされました。 」

これは、真実だとおもいます!

自分の感情や思考を阻害したことで、社会的にも
心身的にも、大きな齟齬が生じているんだと感じています。
2011-12-29 木 14:08:40 | URL | maharasa [編集]
Re: タイトルなし
『一・一 さん』
コメントありがとうございます!
そして、返信がかなり遅れてしまいすみません!

『大体の人が「死ぬ」という瞬間またはその後を中心に考えますからねー。 』
↑そこなんです!その違いに気づかされました!

そこが面白いんです!
これまで、見てきたもの、感じてきたものというものが
いかに脆く、薄い物かと言うことを教えてくれます。

オススメです!
ですが・・・挿絵に強烈な解剖の写真が出てきますので、お気をつけてください!
2011-12-29 木 14:59:27 | URL | maharasa [編集]
Re: タイトルなし
『自然いっぱい野乃花さん』
コメントありがとうございます。
返信が大変送れてすみません!

『死についてとても恐怖感』
このことについても、解決とはいかないまでも、
それに近づく兆しをこの本は与えてくれます。

『今一つ言える事は、死は生命の終わりではないかということ・・・かな・・・』
この言葉の奥深さは、すごいです。
死が終わりではない。

自然いっぱい野乃花 さんが指摘してくれていることとは、ずれてしまうかも知れませんが、
死は終わりではなく、常に起きている事、そして、現在も自分の一部分は死に、そして生まれている
ということにようやく気づけたように感じます。
2011-12-29 木 19:31:21 | URL | maharasa [編集]
Re: タイトルなし
『奏響さん』
お久しぶりです。
本当に、コメントが遅れてすみません!

本当に、興味深い!本です。(湯川風)

いかに「死と向き合うか」これこそが
人にとっての大きな課題なんですね。

「死」という大きな難題を考える事、
その事にすがりたくて、もしかしたら、宗教が生まれたのかも?と
最近感じています。

どう生きるか?これは、どう死ぬか?ということなのかもしれません。

ぜひとも、手にとって読んでみてください♪
日々の生活をまた、大切に奥深く生きるきっかけを与えてくれます!
2011-12-29 木 19:36:42 | URL | maharasa [編集]
Re: タイトルなし
『*am*blue さん』
お久しぶりです!
本当に、コメントが遅れてしまいました・・・

実は、自分も*am*blue さんのブログからこの本!読んでみよう!
というものに出会うことが多々ありますよ♪

これからも、ブログ遊びに行きますね♪
2011-12-29 木 19:38:37 | URL | maharasa [編集]
Re: タイトルなし
『matsuyama さん』
こんにちは、お久しぶりです。
コメント返信が本当に送れてしまいました!すみません。

自分としても、「死」という問題は大変難しい事で、
どのように認識すべきか?大変悩むところです、ですが、
生きるものとして、避けては通れない出来事なので、
一つ腰を据えて考えることで、少しでも、日々の生活に奥行きが得られれば
幸いと感じ、今回焦点を当ててみました。

葬儀屋さんは、本当に、大変な仕事だと思います。
葬儀という形式に向き合い、いかに残された家族に故人との
別れを形作るか。最大の問題だと思います。

感情移入の関係は、もし、感情移入してしまうと、仕事にならないからでしょうか?

matsuyama さんのブログでも、「遺体」のルポかつて記事でとりあげてありましたよね、
大変興味深く、読ませていただきました。

『肉親に対する人間の感情と物体として扱われる死体。複雑ですね。』
たしかに、大変複雑な問題です。しかし、
この本には、死を抽象的に扱うことの問題を取り上げ、
リアルというものの喪失を危惧しています。

matsuyama さんの仰ることは大変重要だと思います。
われわれは、見なくてはいけないんです。
そして、考えなくてはならないんです!
2011-12-29 木 20:08:49 | URL | maharasa [編集]
Re: タイトルなし
『ラン・レモンさん』
コメントありがとうございます。
そして、せっかくコメントもらったのに・・・大変遅れてしまいました。

人の死て、仰るとおり、様々な理解の仕方があるのも事実ですね、
だからこそ、今の様な画一的な死の捉え方では、もれる領域のものが多数あるということも
事実だと思います。


「システムの一部でも、同じではない。
そのひとが、そこにいることの大きな意味が
あると思います。」
そのとおりです!
人はシステムに組み込まれてはいけないんです。
確かに、生きていくために資本主義のシステムに
組み込まれるのは、しょうがないことだと思います。
しかし、その生命と思想まで、その中に組み込む必要はないと思います。

人間性の回復こそ大切なことだと思います。
2011-12-29 木 20:20:08 | URL | maharasa [編集]
Re: おはようございます(^^
『tomakitiさん』
コメントありがとうございます。
コメント返信が遅れてすみません!
大変内容の濃いコメントですので、少々長くなってしまいすみません!

自分も、人間の死というものは、何か特別なものを感じてしまいます。
しかし、その特別な感覚がいったい何なのか?
全く理解が出来ないというのが、実際のところです。

tomakitiさんの仰る線引きの事も、大変理解できます。
自分も、死という出来事に区切りを付けるためにも、
線引きは必要だと思います。


そしてtomakitiさんも、難しいと指摘している、
「当人についての死」は本当に、なんと言っていいか・・・
死と生きている事の線引きが出来ないということに気づいてしまった現在、
なんとも、、、


しかし、
「本人は亡くなっていて認識なんかできないけれど、その人の
”遺伝子や模倣子”は健在だということで・・・」
この話は、大変興味深いです。
繋ぐ事、伝える事、その大切さが今一度問われようとしている現在、
tomakiti さんの指摘は、重要な事です。
我々人間は次に繋げて伝えていく事が出来るんですよね!
死は終わりではなく、我々の遺伝情報は伝わり、繋がっていくんですよね!

単純な事なのですが、忘れてはいけない大切な事だと思います。
我々は、長い時間軸の中に存在しているんですよね!
自分たちは気づかなくとも、tomakitiさんのコメントにあるように、
我々の中には、人類の歴史が詰まっているということであり、
我々は歴史を背負って生きているということですね!
tomakitiさんの指摘により、コメントを書きながら、頭が冴えてきました!
正月休みを取っていられませんね(笑)


『その人がその人であることには
確かに意味があって、maharasaさんのブログに人が集まって、読んで、考えることにも
それぞれに意味があることだと思うのです。』
↑このコメントは本当にうれしい限りです。
自分のブログの意味を考えていただき本当に感謝しています。
ありがとうございます!

自分も、どんなことにも、意味があると思います。
しかし、それは教えられることではなく、自分で考え気づかなくては手に入れられない事であって、
大切な事は、感じることと、解釈する力!

以前、街デザで書いたことがあるのですが、自分は、デザインを創るときに、
気づかされたことがあり、それが、
世の中には真実というものは存在せず、あるのは解釈のみということでした。

日常の出来事を解釈することで、意味を得ることが出来、存在意義を探せると思います。


自分が一番気にしているのは、近代の経済発展を後押しした合理的なシステムと同様に、
人の生命と、人の価値観が扱われてしまうような現状が有る事が、
大変心配なんです・・・

tomakitiさんのように、自分のブログを読み、考える方が、
いるうちは、日本は安泰だろうと、楽観的に思ってしまう自分がいます(笑)

ブログをやっていて、常々感じるのは、
頭のいいかたが沢山いるなぁ!という印象です。
皆さん、考えて日々の日常を大切に生きている方が多い!

話は変わりますが、
テレビとネットの違いは、ネットは能動的に動き、
情報を取捨選択し、知的好奇心が増幅し、思考能力は上がっているという
良い効果がある!という気づきにブログを初めて気づけた、最高の事です。
2011-12-31 土 01:22:36 | URL | maharasa [編集]
Re: タイトルなし
『ちひる さん』
コメントありがとうございます!
お久しぶりです!

ほんとに返信が遅れてしまいました。。。
すみません・・・

「死」の内容って本当に難しいですよね!
ちひるさんのコメント読んで、自分が言いたいことが
『なんなりかんなり思考することが重要な意味をもってくる』
伝わっているんだな・・・としみじみ感じてしまいました。

自分の解りづらい文章に、共感してもらえるかな?と
いつも、怖がっていますが、うれしいです!伝わっているのが本当にうれしいです!

「リアル」ってなかなか、感じている人っているのかな?って
最近よく考えています。
頭の中だけで考えて、実際のリアルな社会で考えていないのでは?と
ようやく気づきました。

脳が進化した結果、想像のみの世界が先行し、リアルが喪失しているという現状の
問題が浮上していますね!

2011-12-31 土 01:39:20 | URL | maharasa [編集]
Re: タイトルなし
『火酒 さん』
コメントありがとうございます。
返信が本当に、遅れてしまい申し訳ございません。

『システムは完璧ではありませんが、ある程度”完成された”構造体であることは事実ですよね。』
そのとおりだと思います。
そして、かなり鋭い指摘です。
資本主義のシステムが進化しすぎ、経済と文明の発展においては、
抜擢の構造体であるがゆえに、これほど、世界中に広がり、
現在の社会を形作っています。

しかし、どうやら、少しずつ限界が近づいていることも、事実だと思います。
人が作ったものは、やはり完全というものは無いのですね!

自分も、火酒さんと同じ印象です・・・
『資本主義の、社会のシステムの一部分として過ごしていくのは口惜しいですが、そのシステムに従わなければ生きることが難しい社会でもありますゆえ。。。 』
本当に、このシステムに則らなくては生きていけない・・・
生命と、文化はこのシステムから離れて、人間性を大切にしていきたいです。。。
本当に、口惜しいです・・・
2011-12-31 土 02:13:30 | URL | maharasa [編集]
Re: Merry Christmas
『はなさかすーさん 』
コメントありがとうございます!
いつも、奥の深いコメント楽しませてもらっています!

『生死を考える哲学とは違い、死体そのもの
から見えて来ることは、人間そのものなんでしょうね。 』
↑たしかに、そのとおりだと思います。
このコメントに触れて、人間とはいかなる生き物なのか?ということを
考えさせてもらいました!

たしかに、解釈が出来るということは、人間の行動ですね。
おもしろいです!そして、大変勉強になります。

 
『歯車であっても、意志と行動で世界は変わると思います。』
大変重みのある言葉です。
そして、自分の日々の行動を戒められているような気持ちになり、
大変ためになります。

意志と行動。セットにみる視点が大変重要だと思います。
吉田松陰が好きな自分にとって、この行動という事がついてくることが、
大変大切な事であることを常々松陰先生は教えてくれます。

そのため、このはなさかすーさんのコメントは、心に響きました。

はなさかすーさんのブログを読んでいても、
このコメントを読んでいても、
はなさかすーさんの頭の良さは伝わってきますよ♪

今回の記事から、人間の特徴を端的にまとめ、
そこから、さらにシステムからの人間性の保護の方法を
まとめ、コメントに書くというここまでの行動が本当にスマートで、
知性があふれています。。。

自分には、できるものではないので!うらやましいです!

こちらこそ、楽しい記事楽しませてもらっています!

良いお年を♪
2011-12-31 土 02:37:43 | URL | maharasa [編集]
Re: タイトルなし
『xx さん』
いつも、コメントありがとうございます!
お久しぶりです!

飾らない言葉で、いつもコメントを残すxx さん。
飾らないからこそ、きちんと自分の言葉で考え、コメントを残しているのが、
伝わってきます!


『一番ダメなのは利益を還元しないところなんだよな
ただ儲かってこれで万々歳じゃねえだろと思う
最近の日本人はこんな奴等が増えた気がする』
そのとおりです!
儲けることは大切なことです。
お金は大切なもので、重要なものです。

お金を回さないと、経済が発展しないですし!
そして、一部にお金が留まってしまい、
それが、回らない事で、格差が進む。

最悪なのは、その先の、教育の格差がすすみ、
その結果、職業が固定化され、収入も格差が進みその結果、
医療も、命も格差が進むことが一番恐ろしいことです。

かつて、水ビジネスの問題を挙げたときと同様の
憤りを感じます。

そして、物事をリアルに感じられないことが、
今後、問題になってくると思います。
2011-12-31 土 02:48:43 | URL | maharasa [編集]
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